釧路の豆知識


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釧路の語源 釧路の生いたち 釧路のさかな タンチョウ
釧路湿原のはなし

 釧路の語源
釧路の語源には従来三つの説があると言われていました。
一つはクシュル説、二つはクッチャロ説、三つはクスリ説、すべてアイヌ語が語源です。
第一のクシュル説は、通路もしくは越路の意味で、昔から釧路は交通の要路で、しかもアイヌの大きなコタンがあったことから、ここを中心に人々が往来したのでそう名付けたと言うものです。(磯部清一『北海道地名解』)。
第二のクッチャロ説は、咽喉という意味で、釧路川の水源にある湖をクッチャロと言いますが、寛永十二年に松前藩がクッチャロのアイヌをいまの釧路に移住させて、そこをクスリ場所にしたという説に基づいて、クスリは釧路の前の地名で、これはクッチャロという発音の転化したものである、という。(永田方正『蝦夷語地名解』)
第三のクスリ説は、クスリとは「薬」もしくは「温泉」と言う意味で、クスリ湖(クッチャロ湖の原名)を水源とするクスリ川(釧路川の原名)にちなんで、その河口にあるコタンだからクスリと命名されたという。(佐藤直太郎『釧路語源考』)
以上のほかに昭和五十年、土屋祝朗氏が釧路叢書において以上の三つの説をそれぞれ批判しながら、次のような説を唱えました。すなわち、釧路の語源は、同じアイヌ語による「クシベツ」あるいは「クシナイ」からきたものであって、その意味は、”通り抜けることの出来る川”というものです。アイヌの人たちにとって信頼できる通路は”川”であったので、釧路川がそれにあたるという説です。
むろんこれからも新説がでるかもしれませんが、いずれにしてもアイヌ語の解釈は難しい。
                               ガイドブック くしろ より



 釧路の生いたち
釧路は昔クスリとよばれ、アイヌの人々が川筋にコタン(集落)をつくり生活をしていました。寛永年間(1624年〜1643年)の時代を書いた記録から「クスリ」の地名やクスリのアイヌの人々の動きがわかるようになり、松前藩との関係が深くなってきたものと思われます。
はじめは松前藩の船が定期的にあらわれ交易をしていましたが十八世紀なかばころから木材やコンブを積み出すため、本州の農民や漁民がこの地に出稼ぎをするようになりました。とくに、寛政11年に蝦夷地が幕府領になり、訪れる役人や漁民も多く、今の佐野碑園のあたりはクスリ場所の交易・漁業・交通の中心になりました。江戸時代に出稼ぎをしていた商人に米屋孫右衛門がおり、米屋が経営する漁場には道南や青森県の下北半島の人が働きにきていました。
明治政府のもとで蝦夷地は北海道、クスリは釧路とあらためられました。一時は佐賀藩が支配してこともあり、藩は米屋孫右衛門に移住者を募り漁場を開くように命じています。時の当主・四代目佐野孫右衛門は、家族を伴って前浜漁業にあたる移住者を定住させました。なかにはそれまで働きにきていた人も含まれます。
やがて、漁業ばかりでなく、鳥取士族による農業と北方警備の移住があり、木材の流送には大分の人が、炭鉱には東北地方からも出稼ぎしてきました。また、釧路漁業の裾野を広げるためにはタラの新潟、マグロの富山、ニシンの八戸といわれる漁業者の活躍があったのです。
明治33年には人口が10309人となって町制が敷かれ、大正11年には42673人を数え、札幌・小樽・函館・旭川・室蘭とともに市となりました。二十万都市となったのは、昭和50年のことです。このマチは規模拡大の時と都市基盤整備の時を交互に繰り返しながら、こんにちの釧路市をつくりあげてきたのです。
                             ガイドブック くしろ より


釧路のさかなごよみ メヌケ・キチジ・ハッカク・カジカ・エビ・タコ・オヒョウ・
ホッケ・マダラ・スケトウタラ・ホッキ貝・ツブ貝
キングサーモン(マスノスケ)・トキシラズ・キチジ・北洋トキサケ・カラフトマス・ベニザケ・エビ・ツブ貝・カレイ・スルメイカ・サンマ・カジカ
秋あじ・サンマ・スルメイカ・シシャモ・ハタハタ・エビ・メヌケ・キチジ・ハッカク・カジカ・ホッケ・タコ・カレイ・カスベ・マダラ・スケトウダラ・
ウニ・ホッキ貝・毛ガニ・キチジ・エビ・カレイ・タコ・カジカ・マダラ・スケトウダラ・コマイ・ツブ貝・チカ・アイナメ(アブラコ)
釧路の代表的な味は何だろう。おすすめは初夏のトキシラズと秋のシシャモかな。
釧路は炉端発祥の地と言われている。脂がのったトキを炭火でじっくりと焼いて醤油をさっとかけて食べる。酒のお供には最高。特に前浜でとれたてのを焼いてもらうと言うことなしである。トキシラズと言うのは、春の定置網でとれるサケのことをいう。秋味に対しての言葉である。脂ののったトキシラズに対して秋にとれるシシャモは格別だ。産卵ため川に遡上するため海にいるのをとるのであるがほどよく脂がぬけて少し黒くなったオスがまたうまい。スダレ干しにしてさっと炙るように焼く、この淡泊さがいいのである。釧路産のシシャモは脂っぽい輸入物のシシャモ(キャペリン)と違い、脂がぬけているところがいい。頭からがぶりと食べるとまた酒がすすむ。釧路産のシシャモは水揚げ高が一番で一部は日高の鵡川町へ送り出している、知らずに釧路のシシャモを食べているかもしれませんね。
釧路のさかなはどれもうまい。炉端で焼いてもらうと格別、旅の途中でちょっと寄って食べるといい思い出となること請け合いである。



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