タンチョウ
タンチョウは古来より瑞鳥(めでたい鳥)といわれ、アイヌの人々にはサルルン・カムイ(湿原の神様)と呼ばれ尊ばれてきました。
また学名では Grus japonensis グルス・ヤポネンシスといい、「日本のツル」と言う意味です。
日本を代表する鳥と言ってもいいのではないでしょうか。
 
身長は1,5mくらい、体重は飼育下で15kgまで太った個体もいましたが6〜11kgほどと言われています。
羽を広げた長さ翼開長は230〜240cmあり日本では最大の鳥です。(この大きさでは、ほかにアホウドリやオオワシがいます。)
タンチョウは漢字で丹頂と書きます。「丹」は赤い、「頂」はてっぺん、つまり頭の先、てっぺんが赤いのでこの名がつきました。この赤いところは皮膚が露出していてニワトリのとさかと同じです。小さなイボ状のものが集まっていて、興奮すると赤く大きく広がります。
 
北海道東部にある釧路湿原を中心とする湿地帯はタンチョウの生息地として有名です。
他には大陸の北東地域、アムール川(黒竜江)とその支流域のロシアおよび中国領内で繁殖し、冬は南下して長江までの中国東海岸域や南北朝鮮の非武装地帯を中心に暮らしています。
生息数は現在、北海道に1000羽を超えています。中国大陸では1500羽以上いると推測されています。

江戸時代には北海道各地に生息し、冬には本州まで渡っていたものもいて江戸付近で見ることが出来たと言われています。
幕末の乱獲や北海道の開拓によりその数が激減し、明治25年保護鳥になったときには絶滅したと思われていました。ところが大正13年タンチョウを見たという噂があり確認をしたところ今の鶴居村キラコタン岬の付近の湿原で十数羽のタンチョウを再発見しました。
タンチョウがいるのを確かめられ次の年には農林省告示でチルワツナイ川とクチョロ川に挟まれた地域を禁猟区に指定されました。さらにタンチョウは昭和10年に国の天然記念物、27年に特別天然記念物に指定されました。

タンチョウの一年
冬の間、給餌場でエサをついばんでいたタンチョウは3月のなかば頃湿原にある繁殖地へと戻っていきます。そこでは、鳴き合いをして絆を確かめあい、求愛ダンスを踊り、時々入ってくる侵入者を追い払いなわばりを確立します。
巣は枯れたヨシなどを使い直径2mくらい、高さは30cmくらいで皿状になっています。
卵は1回あたり1〜2個産みます。一月くらいすると身長13mくらいのヒナが生まれます。
ヒナは生まれて数日後親と一緒に巣を離れて生活をします。
子育ては湿原の中でおこない、エサは両生類や魚、ザリガニなどの甲殻類、昆虫、ときにネズミや小鳥のヒナなどを食べることがあります。
こうして100日くらい経つと飛べるようになり幼鳥となって行動範囲がぐっと広がります。
秋も深まると越冬の準備に入ります。ほとんどのタンチョウファミリーは繁殖地の湿原を離れて給餌場のある鶴居村の雪裡川や幌呂川、阿寒町の阿寒川沿いへと移動していきます。
この時期飼料用のトウモロコシ(デントコーン)畑に出没し、刈り取られる前のデントコーンをついばんでいる姿が見られます。また刈り取られた後の畑に落ちているデントコーンを食べたりして過ごします。
寒さが増すとタンチョウはエサを食べに給餌場に現れます。その一つ伊藤サンクチュアリには250羽前後が集まり1日のデントコーン量が120kgになることがあります。
冬の間タンチョウたちのねぐらは凍らない川の中です。
その理由として、氷点下30℃まで下がる外気温ですが凍らない川の中の方が暖かいこと、外的が近づきにくいこと、などがあげられます。
冷え込んだ日は、タンチョウもねぐらである川からなかなか出てこず給餌場に現れる時間も遅くなります。
2月の半ば頃になると「鶴の舞」と呼ばれる求愛ダンスが始まります。これはつがいの絆を深めるためと言われていますが実際には、求愛の場面でなくても、時間や季節に関係なく、単独でも群れでも、若くても年寄りでも、オスもメスも踊ります。ところが舞を構成するポーズにはケンカで使われるものが多く含まれています。この踊りは戦いの欲求を昇華して踊りにしているのと同じなのかもしれません。また、求愛の場面で踊るのも、その踊りのうまい下手が評価の対象にされ、相手を選ぶ手がかりになるとも考えられています。
「ツルの舞」が盛んに見られるようになると、それまでずーっと一緒にいた親子に変化が訪れます。片時も離れずヒナを見守ってきた親も自分の子を、ときにつつき回して傍らから追い払い夫婦という単位へ戻り繁殖地へ去ります。
給餌場には独立した幼鳥とまだ繁殖しない若鳥が残ります。彼らもやがて小さな群れで湿原へ去っていきます。
 


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